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夢と現と幻と

心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくる

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認識の地平の晴れ上がり

生まれて初めて記憶が残っているのは何歳頃からだろうか. 自分では,かすかに残っている記憶は2歳ころのもののようである. それこそ,夢のような記憶である. 子供が世間を認識し,記憶に残せるようになる時期には多少の違いがあるようだ. これが早く,しっかりしている子が,小さい頃から賢い子,と呼ばれるのかもしれない.しかし,この能力は,早く開花したからといって,以後も続くとは限らない. 生き物が生きていく上では賢いことは危険を避けるために大事だが,病気をしないことも重要である.長生きの両親からは生まれた子は長生きの可能性が高いらしい.私の身体の遺伝子は,病気をしないことに関しては,現在までそこそこの品質を示しているが,長生きにはあまり適していないのではないかと思っている.
ある年齢の人があと何年生きるかを平均余命といい,0歳児の平均余命がその集団の平均寿命であると習った.平均寿命は文字通り平均であるから,長生きする人も短命な人もいる. 乳幼児期を通過する時の死亡率が平均寿命に大きな影響を与えているのは周知の事実だ. 最近は少年の犯罪が多発しているが,少年から大人になる時期も危うい時期である. 私はあまり無茶をする方ではないと思っているが,自分のその頃を思い出してみると,やはり危うい事が数回あった.今でも思い出すと汗が出てくる. この時期の危うさは,昆虫の羽化するに似たところがある.小さな疵でも,羽化の進行を止めてしまい,個体を死に至らしめることがある.死なないまでも一生引きずらなくてはならない大きな障害が残る場合もある. あの頃は今と比べ,記憶力は良かったが,経験と洞察力が足りなかった.あの頃は,瞬発力はあったが,跳ぶ前に考えなかった.
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